ひとにはひとの 推し解釈
例のYouTube限定ユニットについて、気持ちの整理のために書きます。
私はそもそも歌って踊る推したちを好きになって、ということはまた歌って踊ってくれることはとても喜ばしいことのはずで、確かに元のグループがもう活動しないことを突きつけられるようで悲しかったり寂しかったりはするけれども、それでも彼女の新しい道として応援していかなきゃな、と、「チャンネル登録するといいことがあるよ」の時点からMV公開までの短い間でなんとか感情を落ち着けていたはずだったのですが。
ま〜〜〜〜〜感情なんてそんなうまいこと作動してくれんわな。
見たよ。MV。
チャラチャラしたアイドルグループだったら即ブロするから!とか威勢よく言ってた割には(最低発言をお詫び申し上げます)、全然躊躇なく再生したよ。
でももうAメロ歌い出しが彼女だった時点で爆発してしまった。
フェアリーズ時代はろくにパートを与えられず、良くてサビのユニゾン、運がいいと他のメンバーのハモリ、ソロパートのある曲なんて数えるばかり(そもそもフェアリーズの持ち曲自体数えるばかりなのですが)だった彼女が、すっげ〜歌ってんだもん。
もう単純に脳が混乱した。
歌割が増えたことは、いいことなのかな。彼女にとっては。
本人が嬉しいなら嬉しいけど。嬉しいけどよ〜。
初見で個性を全く感じられないメンバーたちと、最近流行りのサウンドに合わせて揃わないダンスをしている姿を見て、率直に思ったのは「フェアリーズに会いたい」だったんだよ。
本人が決めた道を応援しろ?
自分の中にしかない「推し」像を押し付けるな?
また歌って踊ることを期待してたんだろ?
本人のやりたいことを邪魔するな?
やりたいことをやりたいようにさせろ?
いや、ほんとにぐうの音も出んほどわかる。
ほんまそれな。
そうなんだけどさ。
そもそもフェアリーズの活動終了を1年かかっても全く受け入れられていないわけで、全然普通に「フェアリーズの新曲まだかな?」とか毎日無意識に思ってるんですよ。
そんな中でこういう活動が開始されて。
推しには推しのやりたいことをたくさんやってほしい、推しのいろんな姿が見たい、推しに幸せになってほしい、という気持ちと「フェアリーズに会いたい」って気持ちが共存したらあかんのか?
私はあかんくないと思います。
これを本人やファンにぶつけ始めたらもうそれは暴力になり得ると思うし、先述の通り普通に頑張ってほしいという思いももちろんあるので「今すぐやめろ!!!」とか叫んで暴れるつもりも毛頭ないけども、
とんでもなくでっかい感情を持って応援する「推し」という趣味を持っている以上、「現実の推し」と「自分の中の推し」に乖離が発生するのは避けられないことで、かつそれは誰にも責められるべきことではないと思っています。
唇を噛みしめ血を流しながら、解釈違いを乗り越えていかなきゃいけないんだろうなあ。
まあクソ事務所のおかげで公式との解釈違いには慣れてるので、この感情は自分でなんとかします。
一旦終わりです。