ムンビョル"LUNATIC"に対して考えること

お久しぶりです。オタクです。

我が推しグルMAMAMOOのムンビョルさんが約2年ぶりにソロカムバックを果たし、なんと同時期にフィインさんも事務所移籍後初カムバックということで、ムムの皆様におかれましては年明け早々から忙しないオタク生活を過ごされていたことでしょう。

特にムンビョルさんのソロ活動については前回から長い時間が空いただけに、多くのムムにとって非常に楽しく刺激的な期間であったことと思いますが、一方で今回の楽曲とその表現方法に懸念や指摘の声があったことも事実です。私自身も「果たしてこれはエンタメとして楽しんでよいものなのか?」と深く悩みました。

この記事では、コンセプトイメージが出てからプロモーション活動を終えるまでの間、タイトル曲"LUNATIC"に対して私が考えたことをまとめます。

当初はTwitterにツリーを立てて書き連ねる予定だったのですが、文章が組み立てづらいことやあまりに時間がかかってしまうことを鑑み、ブログとして残すことにしました。

大前提として、私は「精神疾患をエンタメとして消費する」ということに強い疑問を持っているので批判的な見方になりますが、本人への中傷や人格否定をするつもりは全くないので、万が一そう受け取れるような表現があればご指摘いただけると嬉しいです。

 

精神疾患を消費することの是非

そもそもなぜ精神疾患をエンタメとして消費してはいけないのか?という疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。同じ「表現」に関する話題のうち、フェミニズムやLGBTQ+のトピックに比べるとそれほど議論が深まっていないこともあり、私も正直まだこれを自分の正式な意見表明として確定させていいのか少し迷う部分もあるのですが、私個人の考えとしてご覧いただければ幸いです。

うつや統合失調症などの精神疾患は、誰もがかかる可能性のある病気であるにもかかわらず、未だ強い偏見にさらされています。「なんとなく怖い・不気味・攻撃的」といったイメージや、反対に「甘え・気のせい」といった無理解により、病気や患者に対して正しい認識を持つ人が少ないのが現状です。こうした社会の中で表象として精神疾患を描く行為は、さらなる誤った認識の流布や病気自体への軽視を招きかねないことで、非常に慎重にならなければいけないと考えています。

また、精神疾患当事者にとって、病気は長く付き合っていかなければいけないものです。一生をかけて治療する人も多くいます。そうした人たちの存在を無視し、精神疾患の実態を知らないまま「エンタメとして描かれた精神疾患を楽しむ」ことは、私にはできません。それが楽曲/MVという非常に短いコンテンツであれば尚更のことです。たった3〜4分の間で、一切の誤解なく精神疾患を描ききることは不可能だからです。

これは「私が不快になるから」「私が傷つくから」といった個人の感情に基づく指摘ではありません。安全な立場から精神疾患を表す表象を楽しみ、問題から目を逸らすことは、蔓延る差別や偏見を延命する行為に他ならないのではないでしょうか。

 

"lunatic"という言葉の意味

lunatic

1 (侮蔑的)大ばか者,変人;(やや古)精神障害者
2《法律》(法律上の責任を問われない)心神喪失

━━[形]狂気の,精神障害の;常軌を逸した
 語源[原義は「月に影響された」]

(引用元:小学館 プログレッシブ英和中辞典)

今回のカムバックが各所から指摘を受けるきっかけとなったのが、"LUNATIC"という楽曲タイトルの発表でした。

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引用の通り、"lunatic"は精神障害者を表す言葉で、侮蔑的・差別的なニュアンスを含む表現です。日本語で言うと"気違い"(※ここではあえて書きますが非常に差別的な表現です)に近いでしょうか。

楽曲"LUNATIC"は、恋するあまり自分をコントロールできない状態を描いた曲だと思われます。「私どうしちゃったんだろう(내가 왜 이러는 걸까)」「あなたにだけ怒ってしまう(너한테만 화를 내는)」という歌詞からも、恋人への感情がアップダウンし相手を傷つけてしまう情緒不安定な主人公の姿が目に浮かびます。

しかし、その状態を"lunatic"という言葉で表現することは本当に適切でしょうか。いわゆる「恋わずらい」や「恋の病」を表す言葉は他にもありますから、あえて人の尊厳を貶める侮蔑的な表現を選ぶ必要はないはずです。

ではなぜそんな言葉がタイトルに選ばれてしまったのかという話なのですが、ファンであれば(もしかするとファンでなくとも)容易く想像がつくと思います。

"lunatic"の語源はラテン語の"luna"、「月」を表す言葉です。彼女は芸名であるMoonbyulに由来し、月にまつわる作品や表現をこれまでにも多く発表してきました。楽曲"LUNATIC"は、主人公と恋人の関係を狂人(lunatic)と月に見立てたストーリーであるだけでなく、芸名Moonbyulとの親和性まで含んでいるのでしょう。

また、"미쳤다"や"crazy"など、魅力的な相手に対して熱狂する意味合いを含む別の言葉からも発想を得たかもしれません。日本語でもアイドルやコンテンツなどを褒める文脈で「狂う」という言葉がよく使われますが、そうした言葉たちと"lunatic"は「人の尊厳を傷つける意味を持つか」という決定的な違いがあり、明らかに侮辱的なニュアンスの"lunatic"を楽曲のタイトルとして採用したことはやはり良くなかったと言わざるを得ません。

 

MVの解釈と問題点

楽曲タイトルからビジュアルフィルム、続けてティザーポスターと予告が次々に公開され、楽しみな気持ちと同時に募らせていた不安が確信へと変わっていく中、無情にもあっという間に1月19日がやってきました。

ここでは"LUNATIC"のMVにおける「良かった点」と「良くなかった点」の2軸に分けて私の考えを書きます。

  1. 良かったところ

私が何よりも安堵したポイントとして、MV全体の構成がストーリー仕立てであるという点が挙げられます。

今回のようにMVに明確なストーリー性がある場合、精神を病んだ人という「役柄」をムンビョルさんが「台本に沿って演じている」ことが理解しやすく、精神疾患やそれに付随するもの(病室、病衣など)がMVを装飾するただの小道具として扱われているわけではないと捉えることができます。

大まかなストーリーは以下の通りです。事件が報道されるテレビから映像が切り替わり、病衣のような服を着た人物が手術室ではっと目を覚まします。記憶をなくしている様子から事件の関係者なのだろうという想像を視聴者に持たせますが、何かを決意したように走り出し、病院の中を逃げ回った挙句に窓から飛び降ります。

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落ちた先は病室のベッドの上で、おそらく全てはこの人物の空想なのでしょう。さっきまで彼女を追いかけ回していた相手(バックダンサー)と一緒に明るい表情でダンスを踊ります。

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場面は一転して、事件現場を覗き込んでいたフーディーの人物や取調室のような場所で考え込む人物が現れ、さらに救急車の前で踊るムンビョルさんが登場します(個人的にこれは群舞を見せるためのものでストーリーには関係のないシーンだと捉えています)。

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そして大サビ前、「I am not a Lunatic!(私は狂ってない)」「PLEASE DON'T HATE ME(私を嫌いにならないで)」「I can't control myself(自分を制御できない)」などという台詞が大量に羅列された壁紙を破ると、"LUNATIC"という赤い文字が出てきました。これは、恋心に振り回されて苦しむ彼女が「狂っている」と表現されることを拒否しているものの、その実態はまさに「LUNATIC」そのものであるいうことを表していると考えられます。

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自分が"狂っている"という事実を突きつけられた彼女はその部屋から逃げ出すも、転んで道に倒れ込んでしまいます。セルカを1枚撮ると気を失いますが、その現場がまさに冒頭の事件現場でした。バリケードテープの中を覗き込んでいたフーディーの人物は、恋に狂った自分を客観視するもう1人の自分だったのでしょうか。彼女は野次馬とともに踊り出し、終幕を迎えます。

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カムバック当日の0時に公開されたシナリオの中では、主人公は車の中で寝かされ、どうやら介抱されているようです。ナレーション下の「赤い光」という記述から、その車は救急車であることがわかります。この文章は、おそらくMVのラストシーンで踊る主人公の背後で同時に起こっている別の場面です。この後彼女は病院に運び込まれ、手術室で1人目を覚ますのでしょう。

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わかりやすい起承転結があるわけではなく、時系列も前後していますが、このMVが何らかのストーリーに沿って組み立てられていることは明白だと思います。それが読み取れたことは、私にとって大きな救いになりました。精神疾患にまつわる表象をMVの演出として選んだことに、明確な理由があったと解釈できたからです。

私が最も恐れていたのは、「精神疾患をデフォルメした表象が文脈なく現れること」でした。"LUNATIC"というタイトルからして、精神の不安定さを表現するシーンや振付、表情などがMVに散りばめられることは想像に難くなく、それが「どのような文脈をもって映像に現れるか」がこの作品における最大のポイントだと考えていました。

問題の性質は少し異なりますが、例えばIZ*ONEの"Secret Story of the Swan"は、カムバック直前に公開されたティザーの中でメンバーの1人がヒンドゥー教のビンディーを思わせる宝石を額につけていたことから大きな批判を浴び、MVの一部シーンを差し替えることになりました。ビンディーは原則として既婚、かつ夫が存命のヒンドゥー教徒の女性がつけるもので、単なる装飾品ではありません。現代では宗教的な意味が薄れファッションとして楽しむ女性が多いようですが、宗教に基づく文化であることは確かであり、その文脈を無視してただのアクセサリーのように扱うことは文化の盗用だと考えます。

今回私が危惧していたのは上記の例のように、精神疾患を表すコードが単なる装飾品として扱われることでしたが、描かれていたのは"精神的に不安定な人物"という「役柄」であり、病室のセットや不健康なメイクなどは役柄に現実味を持たせるための舞台装置であると感じました。

この演出に全く問題がないとは思っていませんが、少なくともこの構成が与えた楽曲への印象の変化は大きいものでした。

2.良くなかったところ

続いて良くないと感じた部分をまとめますが、ここではさらに2つの要素に分けて書き記します。

精神疾患ステレオタイプを強化している

MV前半、目を覚ました主人公が何かを思い出そうとする場面で、爪を噛むシーンが出てきます。一般に爪噛みは精神的ストレスを感じたときに現れる行為です。

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また、逃げ出した主人公の目の前に浮遊する羽が現れます。チカチカとその姿がブレていることから羽は主人公にだけ見えている幻覚だと思われますが、その動きに導かれるように、彼女は窓の外へ落下してしまいます。幻覚は統合失調症などの病気に見られ、苦しむ人が多い症状です。

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これらの演技・演出は、先の項目で書いた「役柄に現実味を持たせるための舞台装置」のひとつであるとも言えます。しかし、ただでさえ偏見にさらされている精神疾患の症状をピックアップして演出に使用することは、さらなる誤解を生むことに繋がりかねません。さらに窓から落下するという演出は飛び降りをイメージさせ、うつ病の症状である希死念慮をもステレオタイプ化していると感じられます。

③特定のMBTIをデフォルメしている

ラップ詞にも登場するジキルとハイドのように、ムンビョルさん演じる主人公の中には2つの人格があると考えられます。「混乱するMBTI(헷갈리는 MBTI)」「1日の間でまた変わった EからIに(하루 새 또 바뀐 E에서 I)」という歌詞から想像するに、冒頭で事件現場を覗き込み不適な笑みを浮かべる人格をE(外向的性格)、病室で目を覚まし何かを思い出そうとする人格をI(内向的性格)と表しているのではないでしょうか。曲の後半ではラップを通して自らの感情をまくし立てるE人格が好戦的で活発な印象を与える一方、病室のシーンを思わせる白い衣装を身につけ髪も乱れたI人格はたった1人の部屋でカメラに向かって何かを訴えますが、誰かに届いている様子はない=自分自身と向き合っているようです。社交的で意識が外に向きやすいE・内省的で意識が内に向きやすいIというMBTIの一般的なイメージと合致します。

しかし、MBTIという性格診断には以前から問題点が指摘されています。再試験によってしばしば診断結果が変動するという信頼性への疑問や、バイアスのかかりやすい二項対立によって人間の性格をたった16パターンに当てはめてしまうことの危険性などが挙げられますが、何より重大なのは、それぞれのMBTIをデフォルメし「このMBTIに分類される人間はこんな行動をする」という固定観念を強固にしてしまうことです。自分の大まかな性格の傾向を掴むために使用する分には有用なMBTI診断ですが、特定のMBTIをポジティブ/ネガティブなものとして断定する記事や文章は世に多く出回っており、これを安易に信用することはとても危険です。

今回のMVにおいては、主にIの内向的性格が精神的な不安定さに結びつけられていると解釈できます。また、EからI、IからEへと絶え間なく移り変わるという表現は、つまり「E=〇〇な性格」「I=△△な性格」と分類していることになります。ムンビョルさん本人もMBTI診断を好んでおり、流行のひとつを取り入れたとも捉えられますが、人のパーソナリティとは本来多種多様なものであり、特に精神疾患と繋げた表現には慎重になるべきではないでしょうか。

 

おわりに

私はママムというチームの大ファンであり、メンバー4人それぞれの大ファンでもあります。ムンビョルさんのソロカムバックは約2年もの間待ち焦がれただけに、100%純粋な嬉しさをもって受け止められなかったことがとても悲しく、このような文章を世に出すことも彼女の活動に水を差す行為ではないかと何度も躊躇しましたが、自分の考えたことの備忘録ならびにこの作品に関する議論の種として、ブログという形で残すことにしました。

彼女が他人を貶めようとする人ではないとわかっているからこそ、こうした選択がなされ、かつ周囲の誰もストップをかけなかったことが残念でなりません。しかし、1週間という短いプロモーション期間ながらムムを楽しませようと様々な形でアプローチしてくれたムンビョルさんに対しては感謝の念でいっぱいですし、ムンビョルというソロアーティストとしてマイルストーンとなった作品であることには間違いないと感じています。てかマジで曲自体は本当にめっちゃ好きです。

この記事を書き上げるまでに約1週間を要した上、まだまだ書き足りないような気がしています(振付についても書きたかった……)。ここまで読んでくださった方がもしいらっしゃれば、皆さんのご意見をDMでもリプライでもたくさんいただけたら嬉しいです。